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こころのしずく

こころのしずく

第七幕~第十幕




本作品は、「るろうに剣心小説(連載1)設定」をご覧になってからお読みいただくことをおすすめいたします。面倒とは思いますが、多少オリジナル要素が入りますので、目を通していただきますと話が分かりやすくなります。

『きみの未来』目次

『きみの未来』


第七幕「不殺の誓い」

 弥彦はいまだ信じられぬ思いで、胸がいっぱいである。ついには武者震いさえ起こし始める弥彦。
「左之は弥彦からそれを言わせたかったようでござるが、拙者は自分から言いたかったでござる。師匠もそうでござったから」
「そーいうもんなのか」
 剣心は笑顔でうなずくと、話し続ける。
「薫殿とは既に話がついている。弥彦はまず神谷活心流を卒業するでござるよ。詳しくは後で薫殿に聞くといい」
「ああ」
「それから、弥彦。飛天御剣流を教えるにあたって、絶対に守ってほしい決まりがいくつかあるでござる」
 剣心から笑いがすっと消えたので、弥彦もまた神妙な面もちになった。

 洗濯を中断したまま剣心は、改めてその場で弥彦に語る。飛天御剣流を教えるにあたっての、内容や守るべき決まりを。
「道場は、庭の隅にある倉を借りるでござる。物を出せば、質素だが道場代わりになる。広さは神谷道場の半分以下だが、二人で修業するには十分でござる。修業は週六日。日曜日は休みとする。時間は午前中の八時から十一時までの三時間。八時迄に必ず道場へ入っているでござるよ。それから……、それ以外に自主稽古をしてはならないでござる」
「なっ、何でだよ」
 日々ひたすら自主稽古に時間を費やしていた弥彦は、驚いて剣心を見上げる。
「飛天御剣流の修業は、体に負担がかかるでござる。修業時間以外に無理をすれば体を壊すでござるよ。同様の理由で、初めの一年間は道場の掃除もしなくていいでござる」
「けど俺誰よりも強くなりたいんだ。そのためには、とにかくたくさん稽古しないと……!」
 はやる弥彦を落ち着かせるように、剣心は穏やかな笑みを浮かべた。
「確かに……今までは黙認していたでござるよ。神谷道場の稽古だけでは、お主の成長を最大限にのばすことは出来なかったでござろうし……。けれど、これからは、先程言った通りやはり体を壊すでござるから……。それに……」
 剣心は、弥彦の両肩にそっと手を置いた。
「お主には、今しか出来ない大切なことがあるでござる」
「大切なこと?」
 真剣な目つきになる弥彦。
「弥彦はまだ十でござる。自主稽古よりも、思い切り遊ぶことでござるよ」
「はぁ? なんだよそれ。俺はお遊びするほどガキじゃねぇ。子供扱いすんなよ」
「分かっているでござるよ。そういうことではなくて……」
 剣心は弥彦の小さな肩を手で包み、続ける。
「幸せの意味を知らずに育った子に、誰かを守り幸せにする剣をふるうことは難しいでござるから。拙者は……」
「分かったよ……」
 弥彦は何かを察し、続きを聞かず答えた。弥彦は剣心の過去を良く知らないが、それでも重い罪を背負い苦しみを抱えていることは知っている。正直弥彦は、わざわざ自主稽古の時間をつぶして遊ぶという行為自体はいまだ不満だったが、剣心の気持ちは伝わってきた。自分と同じ道を進んでほしくはないという、その思い。
 剣心は、ふっと笑うと真顔に戻り、弥彦から手を離す。
「拙者と弥彦は、今後師弟関係になるでござる。修業中及び道場内では、拙者は師匠、お主は弟子。これを厳守すること。拙者は剣心ではなく師匠。分かるでござるな」
「ああ」
 こころなしか目つきが鋭くなっている剣心に、弥彦も慎重に返答する。
「修業のやり方については、一切口出ししないこと。文句も言わぬこと。修業中は無駄口を叩かぬこと」
「……ああ」
 それは薫との稽古でさんざん行ってきた行為だったが……、強くなるためだったらと弥彦は意を決する。
「ここからは一番大事なことを言っていくでござる。逆刃刀の逆刃で、絶対に人を傷つけぬこと。それから、たとえ素振りでも真剣を使わぬこと。つまり、何が言いたいか分かるでござるか」
「不殺を守ること」
 弥彦は即答したが、不殺の信念を受け継ぐということに、重みを感じていた。剣心は確信を持ってうなずくと、弥彦の目を真っ直ぐに見つめた。
「絶対に、守るでござるよ」
「ああ」
 それはとてつもなく重い言葉だったが、弥彦はしっかり受け止めた。剣心が弥彦に飛天御剣流を教えると決断した最大の理由は、ここにある。弥彦は、真っ直ぐで、失敗することはあっても決して間違えたりはしないと……ただ一人見込んだ男。どんなことがあろうと、この子なら不殺を貫く……。そう信じた。そして、それがどんなに辛く苦しくても、弥彦なら乗り越えていける強さを持っている。
「最後に……拙者は比古師匠から正式に飛天御剣流を継いでいないでござる。継いで弥彦にその跡を継がせる気もないでござるし、第一拙者自身継ぐつもりもない。代々受け継がれてきた殺人剣としての飛天御剣流は、十三代の比古師匠で最後……。拙者が受け継いだのは、技と理のみ。それを不殺の剣として、拙者は飛天御剣流を完成させた。弥彦には、それを継いでもらうでござる」
「……つまり、剣心が初代で、俺が二代目になるってことだな。新飛天御剣流の」
 弥彦はにっと笑った。『新飛天御剣流』などという言葉を使うところは、まだまだ子供である。けれど剣心は、にっこり笑った。
「ああ、そうでござる」

 その後弥彦が赤べこの日雇いに出かけると、洗濯を続けようとした剣心のもとへ薫がとんできた。
「左之助が行ってから話し合った通り、ちゃんと約束通り、弥彦に言ってあげたわよね」
「ああ。薫殿……」
「あやまったりなんかしたら、許さないわよ」
 薫は剣心を睨む。
「いや、そうではなく……ありがとうでござるよ」
「うん……」
 穏やかな剣心の笑みに、薫はにっこり笑いかえした。



☆あとがき☆
剣心……まだ修業始まってもいないのに、いろいろと気の早いことです^^; 継承を決断したばかりだというのに、なぜもうそんな細かい決まりまで……・汗 ここは剣心の頭の回転が速すぎるということで……良い意味でとっていただけたら……^^; で、では神谷活心流派の方は弥彦の卒業稽古及び師範代薫を、飛天御剣流派の方はその後の剣心の師匠ぶり&弥彦の健闘にご注目くださいませ。どうでもいいから早く蒼紫や斉藤や宗次郎を出してくれという方、今しばらくお待ち下さいませ_(_^_)_


第八幕「月と弥彦と逆刃刀」

「卒業試験は一週間後。今から奥義を教えるから、一週間で会得しなさい」
「一週間で奥義!?」
 神谷道場内に、弥彦の声が響き渡った。よほどびっくりしたのだろう。真向かいに立つ稽古着姿の薫を、怪訝そうに見上げる。
「これくらいのことこなせなくては、とても飛天御剣流は会得出来ないわ。分かったらさっさと構えなさい」
「出来ねぇなんて言ってねーだろ」
 凛と言う薫に、弥彦は不機嫌そうに答えたが、素直に構えた。薫に、強い意志の目を向ける。
 薫と同じ白い稽古着。卒業試験に合格しても、しなくても、一週間後には神谷道場の門を出ていく弥彦である。もう、この稽古着を着ることもないであろう。

 道場での稽古後、庭で奥義の型――腕を交差させる稽古を続けていた弥彦に声をかけたのは、七日前に飛天御剣流の師弟関係となる約束をした剣心だった。
「弥彦、これからお主を連れて行きたいところがあるでござるよ」
「俺は今それどころじゃねー。薫のヤツ、奥義一回見せたきりで稽古相手にもなってくれねー。だから明日の試験、奥義はぶっつけ本番なんだぜ」
 見向きもせずにきっぱり言い放ち稽古を続ける弥彦だったが、剣心は穏やかな笑みで弥彦の腕をとり歩き出した。
「おい剣心!」
「まあまあ、奥義の稽古ならそうあせらずとも大丈夫でござるよ」
 剣心はおかまいなしに、弥彦を連れて道場を後にした。

 一時間ほど歩いて着いた先は、街中のとある生活用具の店であった。
「おい、大量の買い物でもあるのか?」
 荷物持ちでもさせられるのかと思っていた弥彦だったが、剣心は、いや、と中へ入っていった。弥彦も後に続く。古ぼけた店内の棚には、包丁や鎌などが並んでいた。剣心は、店主の老人に声をかけた。
「御免。青空殿に合わせて頂けぬでござるか?」
「ああ、緋村さん」
 老人はゆっくり立ち上がると奥へ引っ込んだ。少しして、老人と共に現れたのは、新井青空だった。逆刃刀・真打を打った新井赤空の息子である。
「緋村さん、どうも」
 青空は、うれしそうに剣心に頭を下げた。
「青空殿」
 剣心も笑顔で軽くお辞儀をした。青空は顔を上げると、弥彦を穏やかな笑みで見つめた。
「この子が……弥彦君ですね」
「……誰?」
 弥彦は、青空を見上げる。
「とりあえず奥へどうぞ」
 不思議顔の弥彦、剣心を、青空は二階の部屋へ案内した。

「青空殿が東京へ滞在していて、助かったでござるよ」
 青空は、この店の主人と縁があり、たまに出向いては道具を作る技術を教えてもらっていた。二週間程前だっただろうか。東京へやってきた青空は、神谷道場へ出向き息子の伊織を助けてもらった礼を改めて言いに来たのである。もっとも、弥彦は赤べこの日雇いに出かけていて不在だったが……。そして六日前、剣心はある用で青空に会いにこの店に訪れたのである。
 青空は並べられた座布団に剣心たちを座らせた。開け放たれた木戸の窓から、質素な和室に風が通り抜ける。
「弥彦。こちらは新井青空殿でござるよ。逆刃刀を打ってもらった今は亡き赤空殿のご子息でござる」
「逆刃刀の……」
 弥彦は、部屋隅の布に包まれた細長い物を丁寧に持ち上げた青空を、まじまじと見る。
「では約束のものを……」
「かたじけないでござる」
 剣心は大事そうに受け取り、布を広げた。中から現れたのは――刀だった。剣心の逆刃刀にそっくりだったが、それより短く出来ている。
「弥彦、これを……」
 剣心は、弥彦に剣を渡した。弥彦は訳が分からぬまま、受け取る。
「重い……」
 剣を見つめながら、ぼそりとつぶやく弥彦。
「抜いてみるでござるよ」
 剣心に言われるままに、弥彦は鞘から剣を抜いた。
「――逆刃刀!?」
 それはまぎれもなく逆刃刀だった。刃と峰が逆になっている。
「では立って、腰にさしてみるでござるよ」
「えっ?」
「さっ、立つでござる」
 剣心に促されて立ち上がった弥彦の腰帯に、剣心は剣をさしてやる。そして真剣な目で長さを確認すると、弥彦に柄をにぎらせる。
「具合はどうでござるか?」
「どうって言われても……」
 首をかしげる弥彦に、剣心は柄を握る弥彦の手を包むように握った。そしてうなずくと、手を離し、弥彦の手の大きさと柄の太さを観察する。そしてまたうなずくと、剣心は弥彦の後ろに立ち、弥彦の左手をとり鞘をつかませる。そして剣心は、後ろに立ったまま弥彦の両手にそれぞれ自分の手を沿える。
「弥彦、今から抜刀するでござるよ」
「……ちょっと待てよ剣心!」
「おろ?」
 剣心は姿勢を崩さぬまま、弥彦の顔を覗き込んだ。
「どーいうつもりだよ……」
 弥彦は、前を向いたまま剣心に問う。怒っているような困っているような、複雑な表情で。
「弥彦は、不殺の飛天御剣流を会得するのでござろう? それなら逆刃刀は必需品――」
「そういうことじゃねぇ!」
 剣心の言葉を遮り、弥彦は声を荒げた。けれど、その後うつむき加減になる。
「そーじゃなくて……、俺、まだ金がたまってねぇんだ」
「……弥彦」
 剣心は、弥彦の手を包む力を少し強くする。
「まだ十の小さな弟子に、刀を用意してやらない師匠など、どこにいるでござるか」
 弥彦は驚いて一瞬目を見開いた。そして、添えられた剣心の手にあたたかさを感じながら、それでもまだとまどっていた。
「遠慮は無用でござるよ。それに、お主は体の成長に合わせて刀を変えていかねばならぬでござるからな。お主の懐ではちと無理でござろう」
「けど……、剣心の財布の方が軽い気が……」
 突っ込む弥彦に剣心は苦笑いしたが……。
「大丈夫でござるよ弥彦。拙者も大人故、日雇いで稼ぐ金は弥彦よりずっと多いでござる」
 剣心の言葉に、弥彦ははっとした。奥義の稽古に明け暮れていたこの六日間、剣心の姿をあまり見かけなかった。弥彦は、思わず振り向いて剣心の顔を見上げる。剣心の表情は、いつものほっとするような穏やかな笑みだった。
「弥彦はそんなこと何も気にしなくていいでござる。この剣で、飛天御剣流の修業を懸命にしてくれたら、それでいいでござるよ」
「剣心……」
「分かったなら、構えるでござるよ弥彦」
 剣心は、弥彦の両手をさらに力強くにぎった。
「……ああ!」
 弥彦はにっと剣心に笑うと、正面に向き直り、真剣な目つきで構えの姿勢をとる。
「いくでござるよ」
「ああ」
 弥彦は、自分でも柄を強く握りしめた。そして鞘もぎゅっと握り鍔を親指で押し上げる。チキ…と静かに鍔が鳴る。
 そして――弥彦は剣心の手に導かれ、抜刀した。弥彦が始めに感じたのは、静けさだった。一瞬後、剣が発した風が部屋中を吹き付ける。
 初めて構えて振り抜き、抜刀した刀――早すぎて全く見えなかったが、弥彦の目に映ったのは太陽の光に反射したきらめきだった。その余韻と、いまだきらめく刀身と、剣心の早さで抜刀した感覚に、弥彦の体は震え始める。心臓はバクバクし、息は乱れ、額から一筋の汗が流れる。
「どうでござったか?」
「……おう!」
 息も絶え絶えにそれだけ言うのがやっとだったが、弥彦の満足げな顔を見て剣心は納得したらしい。
「青空殿。注文通りのとても良い刀でござる」
「もったいないお言葉で」
 青空は、はにかむように笑った。剣心は、ここ数日日雇いをして得た金を、青空に払った。

「弥彦君。緋村さんはボクの息子を救ってくれた。平和を望む素晴らしい方だ。この刀は、君にも緋村さんのようになってほしいと、願いを込めて打った。大変だろうけれど、君も緋村さんを目指して修業に励んでほしい」
「応よ!」
 帰り際、しゃがんで弥彦に目線を合わせ語る青空に、弥彦はにっと笑って答えた。
「それから……ボクには伊織という息子がいるんだ。将来、君が大人になったら、君にふさわしい素晴らしい刀をその子に打たせたい。それが今のボクの夢なのだよ」
 青空は、にっこり弥彦にほほえんだ。

 店を出ると、辺りはもう真っ暗だった。月明かりだけが、道を照らしている。弥彦は、布にくるんだ逆刃刀を両手で持ちながら、何故か月をじっと見ていた。
 街から外れ河原沿いの道まで来たとき、ふいに弥彦は言った。
「弥月刀……。この刀、弥月刀って名付けてもいいか?」
「やつきとう、でござるか?」
「ああ」
 弥彦はまた、月を見上げた。剣心はそんな弥彦を見つめる。
「やつきとうのやは、弥彦の弥。つきは、あの月でござるか?」
 剣心も月を見上げる。
「ああ。月は、父上が好きだったんだって。それで、母上も月を好きになったんだ。だから、父上と母上がつけてくれた俺の名前と、二人が好きだった月をとって、弥月刀」
「ああ。良い名前でござるな」
 剣心が弥彦ににっこり笑うと、弥彦はうれしそうに刀を抱きかかえた。

 その夜、皆が寝静まってから、弥彦はこっそり箪笥の引き出しを開けた。そこには、神谷家の家計を支える金がしまわれている。弥彦はそこに、そっと布袋を入れた。それは、弥彦が日雇いで稼いだ金のほとんどが入っているものだった。
「まぁいざってときのために俺も少しは金持ってねぇとならないから、全部って訳にはいかねぇけどな」
 弥彦はそっとつぶやくと、寝床へ戻った。



☆あとがき☆
弥彦が抜刀して震えたとき、何故か無性に弥彦を泣かせてみたくなった管理人……弥彦に猛反対されて強制的にやめさせられました・笑
次回、神谷活心流卒業試験です。奥義頑張れ弥彦くん! です。


第九幕「真夜中の稽古」

 卒業試験を明日に控えた真夜中――いや、正確には零時を過ぎているので試験当日。月の光が降り注ぐ神谷道場の庭で弥彦は独り、奥義の型――腕を交差する稽古に励んでいた。寝床からこっそり抜け出してきて、何時間もぶっ続けで稽古していたので、弥彦の腕は上がらなくなってきていたが、歯を食いしばって気合いを入れる。
「やっぱ……卒業試験は……、合格しねぇと……!!」
 息を荒げながら、弥彦はつぶやいた。弥彦にとって、奥義自体に特別な思い入れはなかった。もちろん、今まで剣を学んできた流儀の奥義なのだから、関心がないと言えば嘘になる。けれど、自分は門を出ていく身。本当なら、奥義を会得する資格さえないと思っていた。ただ、それでもこうして稽古に励んでいるのは、奥義を会得するためと言うより、師匠薫に対する気持ちからである。今まで剣を教えてくれた師範代薫に、最後に与えられた課題を完璧にこなしてみせること――それこそが、薫に対する最大の恩返しであると弥彦は信じて疑わなかった。
 この一週間、薫は奥義の稽古をついにつけてくれなかった。弥彦も、それでいいと思っていた。口では文句を言っていた弥彦だったが、本当は自分の力で奥義を会得してこそ神谷道場の門を後にし次へ進む資格があると言うことを、分かっていたからである。薫も、きっと同じことを思っているのだと、弥彦は思った。 
「刃止めだけでなく、形だけでも刃渡りの稽古をしておかねぇと……」
 初めての刃渡り稽古。弥彦は目をつむり、薫が一度だけ見せた刃渡りを思い浮かべる。見えない相手が剣を振りかざしてきたのを想像し、カッっと目を見開き刃止め、そして刃渡り成功――のはずだったが……。
 空想の相手に思い切り刃渡りを見舞った弥彦は、重心を崩し前のめりに倒れた。その時ちょうどそばに置いてあった桶の山ががらがらと崩れ、深夜故にものすごい音で響く。剣心と薫が驚いて、縁側へ出てきた。
「弥彦!?」
 薫はあわてて庭に出て、弥彦のそばに駆け寄る。弥彦は片膝をついて起きあがる。
「弥彦……。拙者が今日無理に連れだした故、こんな夜中に稽古していたでござるか?」
 縁側で、剣心が少々驚いた顔でたずねる。
「別に。今日だけじゃなくて、毎晩やってたし」
 弥彦は内心バツが悪かったが開き直り、服の土を払いながら平静を装い言った。
「毎晩!? バカっ! あなたお子様なんだから、こんな時間まで起きてたら身体によくないでしょ!」
 薫は怒りながら、手ぬぐいで弥彦の土と汗にまみれた顔をぬぐってやる。
「……明日の卒業試験が終わったら、もう自主稽古させてくれねーから」
 ここで弥彦は剣心を睨み、剣心は苦笑する。
「だから今日で最後だよ。分かったら二人ともさっさと寝ろって」
 薫は弥彦をしばらく見つめていたが、ふいに弥彦の腕をぐいとつかみ、立たせた。
「道場行くわよ弥彦。これ以上服が汚れたら、剣心が洗濯するの大変じゃない」
 薫は剣心に目配せをした。剣心は笑ってうなずくと、部屋へ戻った。

 弥彦が道場で待つこと十分。薫は稽古着に着替え、再びあらわれた。
「オイ、何の用かと思えば、お前今更奥義の稽古相手になろうってのかよ」
「そんなわけないじゃない。するのは、いつもの稽古よ。ほら、さっさと構える」
「はぁ?」
 いぶかしげな弥彦に、薫は強引に稽古を始めようとしている。
「あのなぁ、俺は奥義の稽古に忙しいんだよ。課題を出したのはお前だろ?」
「あなた、あれだけ一日中稽古して、夜中まで稽古して、まだ自信がないの?」
「そーいう問題じゃねぇ」
 自信があるとかないとか、弥彦は考えたことがなかった。それよりも、出来るか、出来ないか。やるか、やらないか。今の弥彦には、それだけである。故に弥彦はこの一週間、ひたすら稽古に励んだ。赤べこの日雇いと、弥月刀を取りに行った時間以外のほとんどは、正に寝る間も惜しんで奥義の稽古をしてきたのである。正直、特に夜中の稽古は、まだ子供の弥彦には辛かった。体にも無理が来ていて、朝食も無理して食べていた位である。
「……まぁいいわ。本当言うと、私が稽古をつけたいの。生意気なあなたをしごけるのも、今日で最後だしね」
「相変わらず勝手だなお前は……」
 弥彦はふぅとため息をつくと、竹刀を構える。けれど、納得もせずにしたがうような弥彦ではない。
「じゃあまずは竹刀の持ち方から。やってみて」
 弥彦は耳を疑った。それは、初めての稽古で教わったことである。

『違ーう。持手はそうじゃないって!』
『るっせえ、こうかよブス!!』

 弥彦は、改めて竹刀を持ち直す。当然、正しい握り方である。
「よし。じゃあ次。間合いとは何か言ってみなさい」

『いい弥彦、間合いってのはね』
『うるせー』

「一動作で相手に仕掛けられる距離」
 いともなく簡単に、正しい答えを言う弥彦。
「そうよ。じゃあ、飛び込み面やってみなさい」
 薫は面をつけ、弥彦の背に合わせかがみ、打たれ役となる。
「面ーっ!!」
 パアン…! と非の打ち所のない打ち込みが決まる。
「完璧よ。弥彦」
 面を取った薫は、優しく笑った。そして、面と竹刀を道場の隅に片づける。
「おい薫。まだ稽古始まってばっかじゃ……」
「やっぱり、私があなたに教えることは、もう何もないわ」
 戻ってきた薫は、弥彦の頭に手を置いた。
「本当に、成長したわね。弥彦……」
「……」
 穏やかな笑みで弥彦の頭をなでる薫に、弥彦は何故か怒ったようにうつむいていたが、やがて言った。
「俺、本当は、まだまだお前に教わることがあるような気がする」
「……」
「勝負して俺が勝っても、奥義を会得出来ても、まだ他に大切なことがたくさんある気がする」
「……」
「神谷活心流の大事なこと、多分俺は全て修めてねぇ」
「弥彦、座りなさい?」
 薫は、腰を下ろした弥彦の前に両膝をついて座り、弥彦と視線を近くした。薫は微笑し、弥彦の両肩に手をかけた。
「まず、剣の師匠として私があなたに教えることはやっぱりないわ。それは、これからは剣心に教わりなさい」
「……」
「けれど、あなたが言うように、他に大切なことがあるのは事実だわ。礼儀とか、節義とか……何より人を生かす剣を振るう心得」
「……」
「そういう意味でも、神谷活心流を全て修めていないのも事実ね。だから、あなたがたとえ奥義を会得しても、免許皆伝はあげられないわ」
「そっか」
 弥彦は薫の言葉に、逆にほっとした。薫はふと、弥彦を抱きしめた。
「あなたは門下生の中で一番生意気だったけれど……、けれど一番、神谷活心流を継ごうと真剣でいてくれた……」
「……」
「嬉しかった……」
 弥彦は薫の腕に抱かれたまま、じっと聞いていた。
「ありがとう弥彦。これからは、剣心の元で、立派な剣客になるのよ」
「……応よ!」
 薫の腕の中で、弥彦は固く決心した。


 そして日が昇り、昼少し前。弥彦の、神谷活心流卒業試験が始まる。



☆あとがき☆
うっ……スミマセン・汗 卒業試験の回だったはずなのですが、神谷活心流最後の稽古シーンを入れてみたくなってしまいました。しかも稽古になってない(最悪…) 偶然ですけど『剣と心』(るろ剣連載小説2)九話でも心弥(弥彦の子供)がぶっつけ本番奥義…ということで九幕・九話で親子で同じシーンが…!! ということになってましたが、見事ずれました(泣)
次回は本当に卒業試験です。十幕で区切りがついていいかなって思います(言い訳)


第十幕「神谷活心流卒業」

 神谷活心流道場内。薫と弥彦。二人はお互い真っ直ぐ向かい合って立っていた。たびたび稽古の様子を見守っている剣心も、今日はいない。二人だけの道場は、静かだった。
 弥彦は、白い道場着姿で、薫をしっかり見ていた。薫も、真剣に弥彦を見つめていたが……やがて口を開いた。
「始めるわよ」
 薫は中段の構えを取った。
「いい? 一本勝負よ。私が攻撃をしかけるから、あなたは奥義刃渡りでかえすこと。決めれば合格。出来なければ不合格。どちらにしても、そこであなたは卒業よ」
「分かった」
 弥彦は低いけれど意を決した語調で答える。そして薫と同じ中段で構えた。竹刀を握りしめる。まっすぐ薫を見据える。弥彦に不安はなかった。かといって、自信があったわけではない。そんなことは何も考えていなかった。ただ、奥義を成功させること。弥彦の頭には、今、それしかない。
「弥彦……行くわよ!」
 薫は、飛び込み面で弥彦めがけ竹刀を振り下ろしてきた。薫の、渾身の一撃だった。

『神谷活心流の厳しい修業は、まだたくさん残っているんだからね』
 一瞬、葵屋で十本刀と闘う前の薫の言葉が、聞こえた気がした。

 薫の竹刀を、刃止めで受ける。そしてそのまま刃渡り――
 ダアンッ……と、薫は背中を床に叩きつけられて倒れた。弥彦はハァハァしながら、薫をじっと見つめていた。あまりにもあっけなく――奥義は成功した。
 弥彦は、一歩だけ薫に近づいた。息の乱れも、胸のどきどきも、奥義のせいではなかった。弥彦は何も言わずに待っていると、少しして薫は身を起こし立ち上がった。弥彦を見つめ、穏やかに優しく笑う。
「弥彦。合格よ」
 弥彦は、相変わらず真剣な表情で、黙って薫を見ている。
「卒業、おめでとう」
 薫は、弥彦の目を見つめ、心を込めて言った。
 弥彦はそのまま薫を見つめていたが……。
「……師範代」
 初めてその名で薫を呼び――何も言わずに深く頭を下げ礼をした。
 そしてそのまま、道場を出ていった。

 道場の外、まぶしい光の中で剣心は立っていた。弥彦は剣心に気付くとうつむき、黙って通り過ぎようとしたが……剣心は弥彦の頭をぽんと叩くと、道場へ入っていった。

「薫殿……」
 薫は、座り込んで顔をおおい、涙を流していた。
「心配しないで……。うれし涙だから……」
 剣心は薫を、そっと抱きしめた。
「……本当は、ちょっとさみしいかも……」
 薫は、涙を浮かべた目で剣心に笑った。

 その日弥彦は、夕方まで赤べこで働いた。
 休憩時間、裏庭の井戸によりかかって座り休む弥彦の隣りに、燕はおずおずと座った。
「弥彦くん……本当に今日で日雇いやめてしまうの?」
「仕方ねぇだろ。剣心がそーしろって言うんだから。修業との両立は無理なんだとよ」
 怒ったようにふいっと目をつむる弥彦に、燕は物憂げな顔をする。目を開けた弥彦に、その表情が映る。
「何て面してんだよ。俺がやめたからって、薫たちはしょっちゅうここに食いにくんだろ」
「うん……そうだね……」
 言葉とは裏腹に、いまだ憂鬱そうな燕だった。
「燕。明日からもうお前のこと手伝ってやれねぇし、客にからまれても助けてやれねーけど、負けんじゃねぇぞ。……俺も頑張るからさ」
 燕ははっとする。明日から、弥彦は新しい道を進み始めるのだ。
「うん……!」
 燕は、弥彦の門出を祝おうと、寂しさを懸命に押し殺してにっこり笑った。
 弥彦は燕を見て、その頭に手を置き笑った。
 日雇いが終わると、弥彦は妙や店員たちに挨拶をし、去っていった。

 まだまだ明るい夏の夕方、薫は独り道場にいた。外した弥彦の札を見つめながら、ぼんやりしている。すると、急に道場の外からざわめき声が聞こえてきた。
 薫が振り向くのと、道場の木戸が開かれたのは、同時だった。
「弥彦……えっ?」
 弥彦のあとに続いて入ってきたのは、六、七名の少年たちだった。それぞれ年も服装もばらばらだったが、どうやら弥彦より年下の少年数名と、少し年上の少年が一、二名ほどのようだった。
「明日からこいつらが神谷活心流門下生だ」
 薫は、きょろきょろと物珍しそうに道場内や薫を見る少年たちをぽかんと見つめた。
「弥彦……あなたこの子たちどうやって集めたの?」
「どうって……こないだ、たまたまチンピラが街で暴れてんのをやっつけたら、こいつらが俺の道場に入りたいって」
 弥彦はそう答えた。が、実は、チンピラがよく現れる場所を赤べこの客に聞き込み、そこへ出向きわざと相手を挑発して派手な騒ぎを起こし、人手を集めた上で活心流の技を次々と披露し大げさに倒して見せたのである。そして、最後に大声でこう言い放った。
『俺は、神谷活心流一番門下生だ!』
 それを見ていた少年たちは、活心流に憧れた。弥彦は少年たちの熱気がおさまらない内に、道場への入門をすすめる。当然、弥彦の確信犯的行為である。
「そうなんだ……」
 薫は、そんな弥彦の行為にすべて察しが付いたが、けれど気付かないふりをして笑った。
 明日より、神谷活心流は数名の門下生とともに新たな道を歩む。そして――
 剣心にただ一人見込まれた子供、弥彦は飛天御剣流の道へ足を踏み入れる。



☆あとがき☆
弥彦が無事神谷活心流を卒業しました。今回で序章は終了です。次回より本編に入ります。弥彦の、飛天御剣流の厳しい修業、そして成長にご注目下さい! 本編では主要キャラが登場し、ストーリーも広がりを見せます。頑張って書きますので、今後ともよろしくお願い致します!



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